森の自然学校ヒストリー


こんにちは、森の自然学校の校長 いなもと ゆたかです。 これから、このブログでは、校長 稲本裕(ゆたか)が、自らの歴史と森の自然学校の背景について語ってまいります。 また、こだわりの、もの作り秘話、貴重な出会い、美味しさにこだわる食の物語を展開していきます。 H26年10月 ツリーウォッチングのご案内 まずは、自己紹介をかねて、My Historyから。。。 1951年3月1日に、富山県で生まれました。 1951年3月1日には、月刊漫画少年に、4月号より「アトム大使」が連載されるという広告記事が載せられていました。 作者の名前のルビには、てづかさだむし とうってありました。 後の手塚治虫(てづかおさむ)さんのことです。 「アトム大使」の評判は芳しくなく、そこで手塚先生は、鉄人アトムを書くことに方向を変えました。 鉄人28号とダブるため、「鉄腕アトム」と改名され、大ヒット作品になりました。 原子力発電が、「鉄腕アトム」の胸に入る大きさになるのだと信じて、育ちました。 1964年、本来は中学の授業を受けていなければならない時間に抜け出して、何日も東京に行っては、東京オリンピックを見ていました。 1967年頃の私は、都会(東京)に強い憧れを抱いていたのです。富山県の高校に行くのが筋なのですが、東京の私立高校に受かったこともあり、東京の城北 高校に入学しました。(遊ぶ時間欲しさの犯行の可能性が高い。)その当時、原子力発電に関しては、アメリカでは、高速増殖炉がすでに完成していることに なっていました。 東京で、原子力発電に関して勉強すればするほど、「鉄腕アトム」の胸に入る大きさになる事は、自分が生きている間には無理であること、さらに、原子力は危 険で、倫理に反することだと分かってきました。その後、文明拒否病にかかった状態になってしまいました。その頃、有吉佐和子さんの「複合汚染」が朝日新聞 に掲載され、ローマクラブが、「成長の限界」を発表しました。 そんな時代でした。 1972年、長野県は美麻村高知で、私は仲間と共に山小屋作りを始めます。 (つづく)

20代のころ※「緑の生活」(角川書店より)

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